自由のありがたみ
2025年8月12日 2025年8月17日

かつては大型連休が来ようものなら何処かへ出かける計画を立てたり、はたまた外出予定がなければ動画、映画、ドラマ等これ見よがしに自由な時間を謳歌したものだ。
しかしながら自由時間のありがたみは、拘束や規制された中で限定的な時間だからこそありがたみ感じる。
晩年、毎日が全て自由時間になるとこれまた逆に地獄である。
本を読む、ジムへ行く等しても読書も1000冊を超えると中々感化されるものは極めて少なくなり読む意欲も低減。ジムへ行ってもその後身体を休息させるとなると自宅待機で平凡過ぎてしまう。
3日ほどは1歩も外へ出なくても何とかなるが、それ以降になると中々外へ踏み出しにくくなる出たいのに。
予定があれば何の躊躇もないが、単に外へ出て散歩するのも被害妄想が出たりほんの些細な視線が気になったりと部屋へ避難したくなる。(近所だと一層それが募る。まさに不審者…笑)
東西南北、半径5km、10km、15kmと行動範囲を広げても一度行ったところはよっぽど面白みがなければリピートしたいとは思わない。網羅するとGAME OVER
となるとある程度時間を拘束されるのが好ましく、つまりは雇用される(あるいは何か仕事をする)ことが時間と引き換えに対価を得られて適度に疲労を得てぐっすり眠れて人との会話も可能となる。いいことだらけではないか。(それも環境、人間関係、待遇面のどれかが悪くてもストレス過多になるので難しいところである)
贅沢な悩みであり、大きな課題である。
これを解決できれば、きっと老後の充実度も増すだろう。 逆に独り身で歳を重ねていけば一層孤独へ、社会との接点も薄れ悪循環である。何かネットワークを見つけるか、自身で構築するか。
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