ヒクソン・グレイシー自伝 感想

400戦無敗といわれた男の自伝である。
10代の時、麻薬の売人をしたこと、若いころは柔術の練習、サーフィン、異性遊びで主に過ごす。
1993年、アメリカでのUFC大会には、もしものために温存され、ホイスが出場し2大会連続で優勝。 そのホイスが「兄ヒクソンは私の十倍強い」と発言した事で注目が集まる。
1994年、日本でのバーリトゥードジャパンで初来日し1回戦(平良典)、準決勝(ダビッド・レビキ)、決勝(バド・スミス)と勝利し圧倒的な強さで優勝。 戦い方はシンプルで、足への前蹴り(関節蹴り)から組に入り倒してパウンドでパンチを浴びせ相手が嫌がり反転した所でスリーパーが多い。その過程での腕十字も。
1994年12月7日、ロサンゼルスのヒクソンの道場へUWFインターの安生氏が多くのマスコミを引き連れ対戦を挑み、ボコボコに返り討ちになり顔面血だらけに。 のちに安生より、道場生徒複数にやられたとの発言を受け日本で録画していた映像を見せ潔白を証明。
1995年、再度バーリトゥードジャパンにて、1回戦(山本宜久)、準決勝(木村浩一郎)、決勝(中井祐樹)を倒し優勝。 1回戦の山本戦での執拗なフロントチョークにて首を負傷している。 決勝の中井戦においては、決勝に上がるまで対戦相手に相当なパンチを受けておりぼろぼろの状態(ジェラルドゴルドー戦においては、目に指を入れられその後一生光を失っている)でヒクソン戦を熱望して決勝まで来たことに敬意を示し、打撃なしで技術で戦うとセコンド人に話している。 (ファイトマネーは、30万ドル。優勝したらさらに30万ドルだった気がする)
そしてプロレスファン待望の、1997年高田延彦戦。 ほぼほぼ何もさせずに腕十字にて勝利。
日本で試合をするときは軽井沢の別荘(日本人関係者から借りて)で調整トレーニングしている。 科学的なものより、自然との調和、ヨガ、自重でのトレーニングがメイン。
1998年、高田延彦とのリマッチ。 前回同様、最後は腕十字で勝利。
書籍の随所で、ヒクソンは表情や雰囲気で対戦相手の内面が透けるように見えているように語っている。 そして、試合では常に落ち着くこと、感情的になるといいことはないと。
2000年、コロシアム2000にて船木誠勝と対戦。 チョークスリーパーで勝利している。 船木もギブアップしないと当初から決めており、最後チョークで落ちているにもかかわらずタップもせず、レフリーも気づかず止めず自らレフリーにアピールし、それに対応しストップになるが怒ってる様子。 当然だろう、そのまま締めていたな事故にもなりかねないのだ。尚、試合序盤で船木のパンチにより左眼窩底を骨折しており一時的に視界を失っている。
次にファイトマネーも数億提示で桜庭戦につながるかと思いきや実現されず。 しかし、その裏では長男ハクソン死亡との事故があり、精神的に非常に落ちてしまう。 強がって見せることもできたであろう、気を紛らわすために桜庭戦を受けることもできたであろう、しかし、すべての弱さをさらけ出し受け入れることにしたようだ。
それから数年経過し、奥さんに全資産を授け離婚。 都会暮らしから、自然のある暮らしへ。
その後、世界各地で講習会していたようだ。そして、再婚も。
無敗のまま現役を終えた伝説の偉大な格闘家である。
#ヒクソン・グレイシー