人を信じるって

その人のことを信じます」って言葉、結構使うと思うのですが
その人自身を信じているのではなく、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっているだけなのかな。
だからこそ人は、「裏切られたとか」「期待していたのに」とか言うけれど
それは、その人が裏切ったとかではなく、その人の見えなかった部分が見えただけであってその見えなかった部分が見えた時に、それもその人なんだって受け止められる揺るがない自分がいるっていうのが信じられることなのかな。
揺るがない自分の軸を持つことってすごく難しい。

だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ成功した自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかな。

hiropiro
  • hiropiro
  • デブエットに励むアラフォーです。  
    資格のこと、旅先のこと、日常生活のことを書いていこうと思います。

    英検、簿記、FP、電気工事士、ボイラー、危険物、水上安全救助士…。

    47都道府県周りました。海外は16か国ほど。(エジプト、イタリア、フランス、シンガポール、モンゴル…) 
    格闘技(17年)、マラソン(3時間半)、水泳、カート等色々やったりしてました。
    神奈川出身、山口在住半年、栃木在住数か月。

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